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パーソナル無線のクラブ一覧を1987年の群番号帳で確かめた

1987年の群番号帳を開いて驚く女性と説明する男性のイラスト

「パーソナル無線のクラブ一覧を探しているのに、どこにも見つからない」

検索してもアマチュア無線の登録クラブ一覧ばかりが並んでしまいます。

そんな経験をした方は多いはずです。

ずっと探してるのに、出てくるのは違うクラブの一覧ばっかり…

結論から言います。

パーソナル無線のクラブ一覧は、実在しました

ただし役所が作った名簿ではありません。

  • 当時の月刊誌が載せていた群番号帳
  • 読者がクラブを投稿する倶楽部紹介

この2つが、その役目を果たしていました。

私の手元に、その現物があります。

『Five-O』1987年(昭和62年)1月号 No.34、電波実験社が出していた「パーソナル無線の情報誌」です。

記事を書いた人

【きのぴぃ】

  • CB免許廃止前にサイタマAD720/AE215のコールサインを取得。〇〇年にわたり細々と無線活動中。
  • 電気工事士・第一級陸上無線技術士などの資格を持ち、電気・無線が得意です。
  • 電波新聞社 月刊「ラジオの製作」元ライター フリーライセンス無線を主軸にガジェット記事を執筆
  • 電波新聞社 アマチュア無線受験マニュアル企画記事担当
  • マガジンランド 月刊「Let’s HAMing」元ライター

目次

【結論】クラブ一覧は実在した。1987年の雑誌に載っていた

いま検索しても出てきません。

そのため「最初から無かったのだろう」と思ってしまいます。

けれども当時の月刊誌には、次の2つのコーナーがありました。

コーナー名中身役割
群番号帳個人とクラブを群番号で結ぶ名簿誰がどのクラブに属し、どの番号を使っているかがわかる
倶楽部紹介クラブが自分で送ってくる紹介記事クラブの人数・活動・連絡先がわかる

探している「クラブ一覧」に相当するものは、この2つでした。

いま見つからないのは、存在しなかったからではありません。

制度が終わり、雑誌が休刊し、媒体ごと失われたからです。

紙にしか残っていないものは、検索では出てきません

今回開いた『Five-O』1987年1月号のこと

パーソナル無線の情報誌ファイブオー1987年1月号の表紙

まず、どういう雑誌なのかを押さえておきます。

項目内容
誌名Five-O(ファイブ・オー)
惹句パーソナル無線の情報誌
号数1987年1月号 No.34(第5巻1号・通巻34号)
発行電波実験社
発行日昭和62年1月1日(毎月1回1日発行)
定価450円

表紙には第三種郵便物認可が昭和59年12月3日と刷られています。

国立国会図書館サーチでも、この雑誌は1984年から1987年にかけて発行されたと記録されています。

この号の特集は「24V車のDCライン引き回しテクニック トラックにパーソナル無線機を取り付ける」。

読者が誰だったのか、目次だけで伝わってきますね

群番号帳は、個人とクラブを5桁の番号で結ぶ名簿だった

クラブ名と群番号が並んだ群番号帳のページ

誌面の後半、92ページから始まるのが「群番号帳」です。

都道府県ごとに区切られ、次の6つの欄が並んでいます。

内容
コールネーム本人が名乗っていた愛称
氏名本名
群番号その人が設定していた5桁の番号
クラブ名所属しているクラブ
クラブ群番号そのクラブの5桁の番号
住所都道府県と市区町村

注目したいのは、「クラブ群番号」という欄が独立していることです。

群番号がクラブの代わりだったのなら、この欄は要りません。

クラブ名と群番号が別々の欄として並んでいるということは、クラブという実体が先にあったということになります。

群番号はクラブの代わりではなく、クラブの識別子でした

掲載されているクラブ名も、読むだけで当時の空気が伝わります。

千葉県の欄だけでも、これだけの名前が並びます。

  • NURRCOBラジオクラブ
  • 船橋イーストネットワーク(FEN)
  • 千葉壱龍会
  • CLUB MIDNIGHT KISS
  • ブルースカイクラブ(BSC)
  • ジャパンフレンドリークラブ(JFC)

神奈川や東京の欄には、ALL JAPAN DX TOKYO、YOKOHAMA SEASIDE CLUB、全日本銀星会全国連合会(JMRC)などが載っています。

ちゃんと名前があるじゃないですか

そうなんです。

クラブは実在しました

なおこの名簿には氏名と住所も載っていますが、当記事ではクラブ名と群番号だけを扱います。

掲載にあたっての方針

1987年の名簿とはいえ、ご存命の可能性があります。誌面写真を載せる箇所も、コールネーム・氏名・住所の欄は伏せています。

倶楽部紹介は、クラブが自分から名乗り出るコーナーだった

クラブが自分で投稿する倶楽部紹介コーナーの誌面

53ページの「倶楽部紹介(CLUB INTRODUCTION)」は、編集部が調べて書いたものではありません。

誌面にはこうあります。

全国のパーソナル無線仲間!! あなたの所属している自慢のクラブを、ファイブ・オーを通じて紹介してください。

『Five-O』1987年1月号 p.53「倶楽部紹介」

読者投稿制です。

クラブが自分で写真とステッカーを送り、誌面に載せてもらう仕組みでした。

この号で紹介されているのは、三重県の全国勢力会 北勢支部です。

項目誌面の記述
クラブ名全国勢力会 北勢支部
群番号27385
人数約100名
活動月1回のミーティング、ツーリング、新年会、キャンプ
参加者家族や友人も加わるファミリー単位のつきあい

「全国◯◯会」があって、その下に「北勢支部」がある。

本部と支部という構造を持った組織だったことが、名前だけでわかります。

集合写真も載っています。

おそろいのステッカーを貼った車が並び、20人ほどが写っています

番号だけのつながりではなく、実際に顔を合わせる集まりでした。

同じ号に載っていたクラブを並べてみる

倶楽部紹介のほかに、112ページからの「あなたの街から ON AIR 東京の巻」でもクラブが取材されています。

この1冊から拾えるものを並べると、こうなります。

これが、探していた「クラブ一覧」の実物です。

クラブ名群番号誌面の記述
全国勢力会 北勢支部27385三重県。約100名。月1回のミーティング、ツーリング、新年会、キャンプ
オールジャパンフリーメイトクラブ65391メンバー25人。平均年齢23〜24歳。1月1日にミーティング
ノーマル愛好会001587〜8人。158チャンネル機の利用者ばかり。Aコードでも待機
関東空遊会60515昭和60年5月15日発足。毎日「お仕事おつかれさん」と挨拶するのが決まり
あやめ友の会本部は新潟。メンバー700人。関東地方は千葉支部がまとめる

1冊からこれだけ拾えます。

当時の読者にとっては、一覧がふつうに手に入る状態でした。

人数も25人から700人までばらばらで、性格も違います。

探していたのは、まさにこれです

若い人ばかりのクラブもあれば、家族で集まるクラブもある。

ひとくちにクラブといっても、中身は同じではありませんでした。

群番号は、自分たちで意味を持たせて決めていた

発足日やチャンネル数から群番号を決めていた3つの実例をまとめた図

ここがこの記事でいちばんお伝えしたいところです。

群番号は郵政省が割り当てるものではなく、利用者が自分で無線機に入力する数字でした。

だからクラブは、自分たちにとって意味のある数字を選んでいます。

112ページの取材記事に、その実例が並んでいます

発足した日を、そのまま番号にした

3番目のクラブは関東空遊会。(略)60年5月15日に発足、だから群番号も60515。

『Five-O』1987年1月号 p.113

昭和60年5月15日に発足したから、60515

誌面が「だから」と書いているとおり、由来がそのまま説明されています。

使っている無線機のチャンネル数を番号にした

9月の初めに発足したばかりのノーマル愛好会は158チャンネル機を使う人たちばかり7〜8人でやっているクラブです。群番号は00158ですが、Aコードでも待機しているとか。

『Five-O』1987年1月号 p.113

158チャンネル機を使う人の集まりだから、00158

チャンネルの番号が、そのまま群番号になっています。

そして群番号帳には、00015を使うクラブが載っている

この目で見ると、群番号帳の並びが違って見えてきます。

千葉県の欄に、全国KENT倶楽部というクラブがあります。

その会員の群番号は00015です。

15チャンネル…ということですか?

CB無線の世界には、クラブが使用チャンネルの番号を名乗る文化がありました。

15チャンネルを使っていたクラブなら、パーソナル無線に移ったときに00015を選ぶ。

60515や00158とまったく同じ発想です。

ここは慎重に書きます

誌面にあるのは「全国KENT倶楽部・千葉県」という記載だけで、由来までは書かれていません。似た読みの名前を持つクラブが他の地域にもあったという証言もあります。ここでは「00015を使う全国KENT倶楽部が群番号帳に載っている」という事実だけをお伝えします。

それでも、由来が誌面に書かれている例が2つあります。

おかげで、推測を推測のまま置かずに済みました。

実際によく知られていた群番号

クラブが自分で番号を決めていたということは、逆に言えば誰でも同じ番号を入れれば入っていけるということでもあります。

そのため、特定の番号に人が集まっていきました。

当時を知る人の話でいまも名前が挙がるのが、次の2つです。

群番号通称集まっていた層
34567サシゴロトラック関係の利用者が多く、にぎやかだった
27144落ち着いた交信を求める人の受け皿になっていた

34567は数字が並んでいるから覚えやすかった

3・4・5・6・7と並ぶ数字は、無線機に入れるにも、口で伝えるにも簡単です。

覚えやすい番号に人が集まるのは自然なことでした。

当時を知る人の書き込みには「サシゴロ」「さしごろセブン」という呼び名が残っています。

誰でも入れる番号だから、そうなるんですね

人が多い分、交信の雰囲気も独特だったようです。

初めて聞くと驚いたという声も見かけます。

27144は静かに話したい人の避難先だった

一方で「まともな交信がしたいなら27144がよい」という言われ方をしていた番号もありました。

同じ制度の中に、性格の違う場所が並んで存在していたことになります。

合法のCBの8chでは周波数が27.144MHzだったので、それにならって27144としていたんだよ

この2つは、群番号帳に載るような「クラブの番号」とは性格が違います。

2種類の群番号
  • クラブの番号=名乗り。群番号帳に載る
  • 34567・27144=待ち合わせ場所。誰でも入れる

「CB無線から移ってきたの」― 会員本人が語っていた

制度化の3か月後にCB無線から利用者が移ってきた流れを示した図

同じ113ページに、もうひとつ大事な談話があります。

本部が新潟にあり、メンバー700人という大所帯のクラブ、あやめ友の会。

その千葉支部長の言葉です。

昭和58年3月にね、CB無線から移ってきたの。トラックの運転手が多いね。東京と横浜にはユニフォームがあるけど、千葉はない。ミーティングには必ずみんな出てくるね。

『Five-O』1987年1月号 p.113

ここには3つのことが同時に書かれています。

  • 移動の時期。昭和58年(1983年)3月は、制度化された昭和57年12月1日のわずか3か月後
  • 移動元。CB無線
  • 担い手。「トラックの運転手が多いね」

制度が始まってすぐ、CB無線の集まりがそのまま移ってきていたのです。

新しく生まれた文化ではなく、引っ越してきた文化でした。

「東京と横浜にはユニフォームがあるけど、千葉はない」という一言も効いています。

支部ごとにおそろいの服を作るくらいに、しっかりした組織でした

そもそも群番号とは何だったのか

ここで仕組みの側を整理しておきます。

パーソナル無線は、無線機に5桁の数字を設定して使いました。

同じ群番号を設定した局同士でしか通信できません。

群番号の種類内容役割
標準群番号00000不特定の局に対する呼出しに相当
一般の群番号5桁の数字仲間内の通信圏をつくる
特定群コード英字1文字用途が決められた群(後述)

そして通話に使う周波数は、利用者が選ぶものではありませんでした。

制御チャンネル方式といって、空いているチャンネルが自動的に割り当てられます。

つまり特定の周波数を占有できない設計だったわけです。

この点が、あとで効いてきます

パーソナル無線とはどんな無線だったのか

雑誌がはっきり書いたことと言い換えたことを並べた対比図

「そもそもどんな無線だったのか」が気になった方のために、基本のところをまとめておきます。

項目内容
制度化昭和57年(1982年)12月1日
周波数903.0125MHz〜904.9875MHz
チャンネル数当初80チャンネル、1986年に158チャンネルへ拡張
空中線電力最大5W
局種簡易無線局
無線従事者資格不要(局の免許は必要)
通話チャンネル制御チャンネル方式で自動設定
相手の指定5桁の群番号

いちばんの特徴は、資格がいらないのに5Wが出せたことです。

当時、無線従事者の資格なしで扱える無線電話としては最大の出力でした。

最盛期には142万局を超えていた

局数のピークは昭和62年(1987年)12月末の1,425,927局です。

今回開いた『Five-O』1987年1月号は、まさにその頂点の年の1月に出た号ということになります。

誌面のクラブの数も、家族ぐるみのミーティングの写真も、いちばん盛り上がっていた時期の記録です。

142万局は、いまのアマチュア無線の局数をはるかに超える規模です

これだけの人が使っていたのに、いま検索してもほとんど情報が出てきません。

そのギャップが、この記事を書いている理由でもあります。

英字の特定群コードには、用途が決まっていた

群番号には、数字5桁のほかに英字1文字のものがありました。

この用途の一覧は、私が調べた範囲ではネット上に見当たりません

『Five-O』1987年1月号の49ページ、アイコムGT-5の記事に用途つきの表があります。

名称表示用途
EコードEcodE緊急通信用(Emergency)
LコードLcodE近接車通信用(Local)/送信出力0.2W・小ゾーン
PコードPcodE交通情報用(Path)
HコードHcodE高速道路通信用(Highway)
AコードAcodE予備(使用可)
BコードbcodE予備(使用可)/送信出力0.2W・小ゾーン

緊急、近接車、交通情報、高速道路。

並べてみると、想定されていた使い手がはっきりします。

走っている車のための無線でした。

実際に使われていたんですか?

それも同じ号でわかります。

前に引いたノーマル愛好会の紹介に「群番号は00158ですが、Aコードでも待機しているとか」とありました。

表の上の話ではなく、運用されていたコードです。

出所を限定して書きます

この表が載っているのはアイコムGT-5という機種の解説記事です。他機種でも同じ6種類だったかどうかは、まだ確かめられていません。「1987年1月号のGT-5の記事にはこう書かれている」という形でお伝えします。

日本パーソナル無線協会(JPR)という団体もあった

日本パーソナル無線協会の会員募集広告

クラブとは別に、全国規模の協会も存在しました。

同じ号に見開きの広告が載っています。

項目広告の記載
名称日本パーソナル無線協会(JPR/Japan Personal Radio Association)
会長大沢幸夫
入会金4,500円(+送料300円)
年会費なし。資格と特典は5年間
会報年6回発行
コールサインJPRコールサインを発行
おもなサービス全国共通群No./ステッカー製作/QSLカード転送/全国パーソナル局名録/免許書類の相談

ここで目を引くのが会長の名前です。

昭和52年に全国規模で作られた日本CB無線協会(JCBA)という団体があります。

その監修を務めていたのも大沢幸夫という同じ名前の方でした。

同じ人が、両方に関わっていた…

会員サービスの構成もよく似ています。

会員証、会報、ステッカー、QSLカードの転送、そして独自のコールサイン発行。

組織のかたちが、そのまま移っています

CB側のJCFという団体も「JCFコール」を発行していました。名前の付け方まで同じです

私の手元にあるJCFの定款にも、その規定が書かれています。

なお広告には設立年の記載がありません。

JPRがいつ発足したのかは、この資料だけでは確定できませんでした。

CB無線のクラブと比べると、源流が同じだとわかる

ここまでを並べると、ひとつの流れが見えます。

要素CB無線の側パーソナル無線の側
団体日本CB無線協会(JCBA)/JCF日本パーソナル無線協会(JPR)
中心にいた人大沢幸夫(JCBA監修)大沢幸夫(JPR会長)
独自コールJCFコールJPRコール
クラブの名乗り「全国◯◯連合」と使用チャンネル「全国◯◯会」と群番号
担い手長距離トラックの運転手が多い「トラックの運転手が多いね」(誌面談話)
名簿会員名簿が発行された雑誌の群番号帳がその役目を担った

パーソナル無線のクラブ文化は、CB無線から引っ越してきたものでした。

団体は組織ごと移りました。

それ以外の人たちは「全国◯◯連合は何チャンネル」という名乗り方の作法を持ち込んで、チャンネル番号を群番号に置き換えました。

CB側の定款や会員名簿の現物は、別記事で公開しています

当ブログでは、CB無線の側について当時の資料を CB無線の昭和40年代にあったクラブ紹介 にまとめています。

あわせて読むと、同じ人たちが移動していった様子が見えてきます。

なぜ衰退したのか ― 占有できない設計を、改造で壊した

前に書いたとおり、パーソナル無線は特定の周波数を占有できない設計でした。

空いているチャンネルが自動で割り当てられるので、誰かが独り占めすることはできません。

ところが、その仕組みを無効にする改造が広まりました。

改造の種類何をするものか本来の設計との関係
チャンネル表示自動割当された通話チャンネルを画面に出す本来は利用者に見せない情報
チャンネル固定自動割当を無効にして特定の周波数に居座る混信回避の仕組みを壊す
ROM無し送信群番号の制御を経ずに送信する相手を限定する仕組みを無効にする
多チャンネル化割り当てられていない周波数まで使う他の無線業務への侵害につながる

とくに効いたのがチャンネル固定です。

これができると、特定のチャンネルを一部の人たちが占有できるようになります。

占有が成立すると、そこに入ってきた人が追い出されます。

追い出された人は、二度と戻ってきません

新しい利用者が入ってこない場所は、いずれ静かになります。

技術者の目で見ると、ここがいちばん惜しいところです。

制御チャンネル方式は、限られた周波数をみんなで分け合うための、よくできた仕組みでした。

それを壊した結果、制度そのものが立ち行かなくなった…

出力増幅器を付けて100Wから200Wを出す例もありました。

携帯電話の帯域に妨害を与える事態にもなっています。

雑誌は何を書き、何を書かなかったか

ここで、資料そのものの性格に触れておきます。

『Five-O』1987年1月号の表紙には、大きくこう刷られています。

不法パーソナル無線を摘発 初めてメーカーも検挙された!!

『Five-O』1987年1月号 表紙

機種解説のページの下部にも「改造されたパーソナル無線機の使用は違法です」という注記が入っています。

つまりこの雑誌は、改造についてははっきり「違法」と書いていました

その一方で、会員の談話に出てくる移動元については「CB無線から移ってきたの」としか書かれていません。

片方には踏み込んで、片方には踏み込まない

この非対称そのものが、当時の空気の記録になっています。

書けることは書き、書けないことは「移ってきた」という言い方に置き換える。

それが誌面の作法でした。

制度が終わるまでの正確な経緯

「2015年に廃止された」と一言でまとめられることが多いのですが、実際は何段階かに分かれています。

時期何が起きたか
昭和57年12月1日パーソナル無線が制度化される
1986年80チャンネルから158チャンネルへ拡張
昭和62年12月末局数がピークの1,425,927局に達する
平成23年12月14日周波数割当計画が変更され、期限が定められる
平成27年11月30日新規免許と再免許の受付が終了する
平成30年12月31日電波法令からパーソナル無線の規定が削除される
令和3年12月無線局情報から最後の局が消える

総務省 東海総合通信局のページには「新たな免許及び再免許の受付は終了」と書かれています。

平成27年11月30日に終わったのは受付です。

すでに免許を受けていた局は、有効期間が切れるまで運用できました。

近畿総合通信局は、まとめて「免許制度は廃止されました」と書いています

廃止するときには給付金が出ていた

あまり知られていませんが、期限までに無線局を廃止する場合には給付金が支給されていました

ほかの簡易無線局へ変更する場合も対象です。

北海道総合通信局のページに、その条件が書かれています。

給付金の条件
  • 対象は平成23年12月13日以前に免許を受けていた局
  • 使用期限時点で無線機とアンテナに残っている税法上の価値等について支給
  • 無線機とアンテナを廃棄することが条件

だから当時の無線機が、まとまって処分されました。

この記事の資料が集めにくい理由のひとつも、ここにあります。

機材は制度と一緒に片づけられたのです。

だから中古で見かけることも少ないんですね

いま使うと電波法違反になる

免許の有効期間はすべて満了しています。

そのため、いま使えば電波法違反です。

罰則は1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金です。

資料罰則の表記
東海・近畿総合通信局1年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金
近畿(重要無線への妨害)5年以下の拘禁刑又は250万円以下の罰金
北海道(平成26年公開)1年以下の懲役100万円以下の罰金

刑法改正で懲役と禁錮が拘禁刑に一本化されました。

そのため、公開時期の古いページには「懲役」と書かれたままのものもあります。

新しい表記は「拘禁刑」です。

パーソナル無線が使っていた周波数の隣は、いま携帯電話が使っています

電波を出せば、その通話に妨害を与えます。

今から当時の資料を探すには

この記事で使った資料も、たまたま手に入ったものです。

同じように探す方法をまとめておきます。

手段探せるもの難易度
古書店・オークション『Five-O』の各号。群番号帳と倶楽部紹介が載る出物次第
国立国会図書館サーチ書誌情報。所蔵館を調べられるやさしい
当事者のブログ・手記クラブの内側の話。雑誌に載らなかったこと根気が要る
無線機に貼られたステッカークラブ名。中古機に残っていることがある

『Five-O』は電波実験社が1984年から1987年にかけて発行していました。

国立国会図書館サーチで書誌が確認できます。

群番号帳の載った号をお持ちの方がいれば、そこには当時のクラブ名がそのまま残っています。

いま残っている「クラブ一覧」は、紙の上にあります

今も免許不要で使える無線があります

パーソナル無線は終わりました。

けれども、資格がなくても使える無線はいまもあります。

種類手続きパーソナル無線との近さ
市民ラジオ(CB無線)免許も登録も不要昭和のCB無線の直系
特定小電力トランシーバー免許も登録も不要もっとも手軽だが飛距離は短い
デジタル簡易無線(登録局)登録が必要・資格は不要資格不要で5Wという点が近い
デジタル小電力コミュニティ無線免許も登録も不要位置情報を共有できる

資格がいらない無線の全体像は ライセンスフリー無線(フリラ)とは にまとめています。

飛距離を求めるなら、5Wが出せるデジタル簡易無線の登録局がいちばん近い存在です。

登録の手順は デジタル簡易無線の登録のやり方、機種選びは デジタル簡易無線のおすすめ機種 をご覧ください。

群番号にあたるのは、いまなら秘話コードやユーザーコードです

仕組みの考え方は、いまも生きています。

パーソナル無線のクラブについてよくある質問

公的なクラブ一覧は存在したのですか

役所が管理する名簿はありませんでした。群番号は利用者が自分で無線機に設定するもので、届け出る制度ではなかったためです。一覧の役目を果たしていたのは、『Five-O』のような情報誌に載った群番号帳と倶楽部紹介でした。

群番号はどうやって決めていたのですか

クラブが自分たちで決めていました。誌面には、発足日を番号にした例(昭和60年5月15日発足で60515)と、使っている無線機のチャンネル数を番号にした例(158チャンネル機で00158)が載っています。

クラブに入っている人はどんな人たちでしたか

誌面の談話では「トラックの運転手が多いね」と語られています。一方で、平均年齢23〜24歳のクラブや、家族ぐるみでキャンプに行くクラブも紹介されています。層はひとつではありませんでした。

いまパーソナル無線機を使うことはできますか

できません。免許の有効期間はすべて満了しており、使用すると電波法違反になります。罰則は1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金です。

英字の特定群コードは何のためにあったのですか

『Five-O』1987年1月号のアイコムGT-5の記事によれば、Eが緊急通信用、Lが近接車通信用、Pが交通情報用、Hが高速道路通信用、AとBが予備とされています。走行中の車での利用が想定されていたことがわかります。

まとめ|クラブ一覧は、紙の上に残っていた

探しても見つからないと、つい「無かったのだろう」と思ってしまいます。

けれども1987年の雑誌を1冊開くだけで、クラブ名も群番号も人数も出てきました。

無かったのではなく、検索できる場所に無かっただけでした。

制度が消えても、そこにあった文化まで消える必要はありません。

同じ時代のCB無線については、当時の定款や会員名簿の現物を CB無線の昭和40年代にあったクラブ紹介 で公開しています。

今回の群番号帳と並べて読むと、同じ人たちが移っていった様子が見えてきます。

今から無線を始めたい方は、免許も資格もいらないフリラからどうぞ

入り口は ライセンスフリー無線(フリラ)とは にまとめてあります。

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